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三國清三(みくにきよみ)

1954年、北海道生まれ。15歳で料理人を志し、札幌グランドホテルにて修業を始める。その後帝国ホテルに移り、20歳のとき、帝国ホテル村上料理長の推薦で駐スイス日本大使館の料理長に就任。勤務の傍ら、現代フランス料理界の天才料理人フレディ・ジラルデ氏に師事。大使館退任後、トロワグロ、アラン・シャペルらの三ツ星レストランにて修業を重ねる。85年、オテル・ドゥ・ミクニを開店。89年、ニューヨークの最高級レストラン「ザ・キルテッド・ジラフ」にてミクニフェスティバルを開催したのを皮切りに、香港、タイ、フランスなどの有名ホテルを回り「世界のミクニ」の名声を獲得。99年、フランスのルレ・エ・シャトー世界5大陸トップシェフ5人の中の1人に選ばれる。
『皿の上に僕がある』(柴田書店)、『僕の美味求新』(パンリサーチ)、『三國清三シェフの味覚の授業?KIDSシェフー』(小学館)など著書、関連書籍も多数。



毎日キッチンに立つ、それが「シェフ」です。

 僕は15歳から料理の世界に入りました。そして、四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業したのが、ちょうど30歳の時。本人の名を付けたフレンチ・レストランとしては、最初ですよね。そして、今年50歳になりますから、ちょうど20年間、ここでやってきたわけです。当初、回りからは「自分の名前はつけないほうがいいよ」と忠告されました。自分の名前を付けると、いいことも悪いことも自分に跳ね返ってきますから。ミクニはおいしい、ミクニはまずい、ミクニはいい、ミクニはわるい・・・。
 ただ、それこそがオーナーシェフの宿命だと思うんです。逃げられないところに自分を追い込む。責任をもつ。そして責任というのは、信頼につながります。それがブランドになる。ブランドとは、言い換えれば信用力ということです。ヨーロッパのブランドは、シャネルにしても、ディオールにしても、信用力を与える意味で、人の名前をつけています。それが伝統文化なんです。
 いまでも僕は毎日どこにいてもキッチンに立ちます。毎日、素材に触れています。365日、素材に触れていないと、一日の素材の変化は見破れません。フランスの三ツ星シェフ、ポール・ボキューズさんも同じで、いまだにキッチンに立っています。それが「シェフ」ということです。

1. オーナーとして“責任”と“信頼”を重視する
2. “逃げ場”をなくし“退路を断つ”
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10年間、修行できますか?

 僕はうちに来たいっていう若い子に「10年修業できるか」と聞くんです。そこで10年できる、という子しか採用しない。
 料理人として成功したいなら、10年修業ができるかを自分に聞いてみるといい。店をもったときに、3年しか修業していなければ、3年しか店はもちません。5年しか修業していなければ5年しかもたない。10年修業ができれば、その店は10年間もつし、10年もてば、その間にその人も成長できるはずです。
 この店も20年です。僕は15年修業して店をもったから15年はもった。
 急がば回れ、3年もてば、5年もつ、5年もてば10年もつ。いくらハイテクが進んでも、これだけは変わりません。

3. 準備(修行)の期間とレストランの寿命は比例する
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失敗の中からしか、成功のキーはつかめない

 十戦十敗って言っているんですが、失敗はたくさんしましたよ。
 最初の危機は、レストランを開いて半年後でしたね。1985年の4月にオープンしたのですが、それから半年間、お客はぽつぽつぽつ。周りからも言われました。こんな奥まった場所で、駐車場もない、成功するはずもない、と。さらに悪いことに、ヒトの使い方も当時は知らなかったのでどんどんスタッフがやめてしまう。その年の秋、もうだめか、この先の人生、借金地獄かと思いました。しかしそこに、「一億総グルメブーム」が来たんです。それが上昇気流となりました。
 失敗したくて失敗する人はいません。ただ、失敗というのは、唯一、自分自身と向き合える時間なのです。その時に何を考え、どう行動するかで、人生が変わってくる。戦国時代の将は「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」と言いました。敵を知ることはそうむずかしくはありません。リサーチすればいいのですから。ところが己を知るのは難しい。おごりが出るからです。

4. 失敗の中で、自分と向き合う
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10年間、修行できますか?

 次の危機は、バブル崩壊でした。グルメブームも去り、不景気の波がこの店にも押し寄せてきたんです。周りもばたばたと店を閉めていきました。当時30席あった店をさらに縮小し、リストラもしなければ、という判断を迫られていました。
 ちょうどそのとき、ここに住んでいたロシア教会の司教が、ロシア大使館に移り住むことになったんです。ソ連がロシアに変わったことで、ロシア正教が正式な宗教として認められたからです。それを知った私は決意しました。当時、うちは週休2日だったのですが、年中無休にして、司教が住んでいた隣の土地も利用してレストランを拡張しよう、そうすればスタッフをまかなえる、と。どうせ転ぶなら、いっそ前のめりに転びたい、と思ったのです。そして当時、3億円の借金をして店を拡張し、スタッフも2倍に増やしたんです。有名ホテルでもフレンチが消えていった時代、まったくの逆張りでした。周りはあ然としていましたね。
 でも、このときの究極のフレンチを目指すという決断は正しかったと思います。

5. 危機を乗り越えるには“世の中に流される”のではなく“自分を信じて”リスクをとる
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ヒール役(悪役)に徹する

 85年にレストランを開く前、敵を知るという意味で、84年にマーケットリサーチをしました。覆面で、いろいろなレストランに食べに行ったのです。その中で、何回も何回も通ったのが石鍋裕さんの「ロティウス」、井上旭さんの「ドゥ・ロアンヌ」、鎌田昭男さんの「オーシュバルブラン」。80年代はこの3人の偉大なグランシェフの時代でした。このグランシェフをどうしたら超えられるか。いろいろ考えて出した結論が「ヒール役」、つまりプロレスでいう悪役です。「おれはミクニだ」と打って出たわけです。ちょうど30歳でしたから、31歳以上のシェフは、みんな敵でした。フレンチといいながら、中華の素材も和食の素材も使う。わが道を行くという態度。
 3人のグランシェフにとってもいい存在だったと思いますよ。こちらが悪役、グランシェフはヒーローですから。

6. マーケットリサーチはしっかり行う。
7. 自分のポジショニングを明確にする
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社会貢献できる店を作る

 人生において、私が自らやりたいと思ったのは、四谷の「オテル・ドゥ・ミクニ」だけです。あとの店は、ほかから依頼が来て、やらせてもらったという感じです。
 ですから、地方も多く、フレンチレストランを出すには、地理的には不利な場所が多いですよ。店を出す判断としては、社会貢献できるか、地域が経済的に潤うか、ということを考えています。ミクニグループの事業拡大や利益拡大が目的ではないんです。

 たとえば、名古屋。いま6年目でマリオットホテルの最上階にあります。いまでこそ、ブームの最先端をいっていると評価されていますが、出店当初は大変でした。当時、不況もあって、名古屋のあらゆるホテルからフレンチレストランが消えていきました。そんな中、JR東海ホテルズの社長から、「ミクニの名前でレストランをやってほしい」と頼まれたのです。最初は、本当に困りました。レストラン・ミクニという名前は、命と同じくらい大事なものですから。そこで、社長に頼んだのです。「では、名古屋でフレンチの復権をやらせてもらえないだろうか」と。
 オープンしたときは、地元の新聞に「いまさら名古屋でミクニブランドのフレンチは流行らないだろう」と散々、たたかれました。それがなんと6年目ですからね。いまでは、名古屋でもフレンチが成功することがわかり、ヒラマツが来る、クイーンアリスが来る、という状況になっています。これこそ、私が描いていたことなのです。

8. 「地域に貢献する」「フレンチの復権」というような“高い視点”を持つ
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経営者はデータを見る

データはよく見ていますよ。全部の店の日報に毎日、目を通しています。全部の店舗を見る、現場を見る、というのは、日産のゴーンさんも言っていることです。経営の原点は、現場に答えがあります。数字を私ほど見ている経営者もいないと思えるくらいですね。ただし、数字よりも大事なのは、その奥に隠れている現場の変化です。ミクニでは、日報は手書きです。字には真実が現れますから。そういう意味では、イメージとスタッフの精神状態を大切にしているとも言えますね。

9. データを日々接し、データのその奥に隠れた現場の変化を読み取る
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10年単位で見直す
 
   

 今年50歳ですから、転換期に来ていると思っています。プロデュースした店舗も更新時が来たら、更新せずに、少しずつ縮小しています。いまはほかの海外の有名フレンチレストランがどんどん出店している時代ですから、地域を潤す、フレンチの復権を担うという僕の役割は終わったと思っています。
 その分を医療食や子供の食育の分野に振り向けています。360度の方向転換といえるかもしれませんね。

 今年からアメリカの「ザ カリナリー インスティテュート オブ アメリカ(CIA) 」で教えることになりました。かつて30代のころ、ニューヨークのホテルを皮切りに、世界各地のホテルにシェフとして呼ばれていきました。40代は国内のレストランの発展に力を注いでいましたが、 50代は教育者として新たな挑戦です。
 常に、5年後、10年後を見据えて行動することも、成功の秘訣といえるかもしれませんね。

10. 自分の使命を明確にし、10年単位で見直す
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オテル・ドゥ・ミクニ

東京・四谷にある「オテル・ドゥ・ミクニ」は、1985年の開店以来、日本のフレンチ料理店のトップを走り続ける。赤坂離宮にほど近く、学習院初等科の塀にそって導かれる住宅地の一角。温室風の快適なメインダイニングと、教会を改築したモダンなスペース、小粋なウエイティング・バー、隣接のカフェ、ブティックを従え「ミクニ」は、周囲の閑静な住宅街とほどよい調和をみせている。 ほかに、「アズ・カフェ」「コートダジュール ミクニズ」「レストランミクニマルノウチ」「ミクニナゴヤ」「東京食堂Central Mikuni’s」など全国各地に多数の「ミクニ」を経営。


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