お弁当はどうやって生まれた?

 コンビニやデパ地下の人気メニューのひとつ、お弁当。ところで「お弁当」という言葉、中身をさすのか、容器をさすのか、と聞かれると、首をかしげてしまいます。中身のないものは、ふつうお弁当とは呼ばないのですが、語源はどうやら容器のほうだそうです。
 一人前ずつ飯を盛って配るのに用いた「面桶(めんつう、めんとう)」から、言葉が転じたものとのこと。いまでも木目の美しい秋田杉で作った「曲げわっぱ」は、美術品として愛好家に親しまれているほどですが、スギやヒノキをうすく削って、円形や楕円形に曲げて、合わせ目をサクラの木の皮で閉じ、底をはった「めんぱ」「わっぱ」と呼ばれる曲げ物のことを面桶と呼んでいました。「弁当」という言葉が使われだしたのは、織田信長の時代からということですが、「面桶」のほうは、もっと古くから用いられていたようです。

 また、ヤナギや竹で編んだ行李も弁当箱として使われていましたし、容器が使われだす前には、植物の葉や皮で包んでいました。いまでは、竹の皮で包んだお弁当の方が、風情がありますね。

 ところで、お弁当の中身というと、まっ先に思いつくのは握り飯ではないでしょうか。
 握り飯は、平安時代の「屯食(とんじき)」という強飯のお握りに始まります。屯食は、宮廷などで宴会があったとき、下仕えの者達に給付された食事で、あまり上品なものではありませんでした。蒸した米を固く握って握り飯にするのは、2つの効用があって、ひとつは、玄米が冷えたとき、ぼろぼろにならないようにするため、もうひとつは、半つき米や7分づき米が暑い時期に腐るのを防ぐためでした。
 蒸した飯を握ると、外側は腐ったりカビが生えたりしやすいのですが、中は腐りにくくなります。塩をまぶしたり、焼いたりすれば、腐るのが防げて、そのうえ、おいしく食べることができます。

 お弁当の中身は素朴なものが長く続きました。江戸時代のころの庶民のお弁当は、梅干しの入った握り飯というのが相場でした。しかし、大名や豊かな町人層たちは、大名弁当、幕の内弁当、花見弁当など、楽しいお弁当を考え出しました。幕の内弁当は、芝居の関係者が楽屋で食べた仕出し弁当が始まりで、そのうち観客もこれを注文して幕間に食べるようになったのです。
 さらに鉄道が開通してからは、旅客のための駅弁も生まれたり、また、来客のときに、家庭でのおもてなしに使われるようになったりして、弁当は多様化してきたのです。


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